紀の川水系 都道府県
紀の川水系 市町村
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紀の川(きのかわ)水系は奈良県、和歌山県を流れる一級水系。本流は和歌山県内では紀ノ川(きのかわ)、奈良県に遡ると吉野川(よしのがわ)と呼ばれる一級河川である。全長136km、流域面積1,660km2。
なお、河川法では「紀の川」とされているが、国土地理院の25,000分の1地形図では「紀ノ川」と記述している。
奈良県と三重県との県境にある大台ヶ原を源流とする。奈良県五條市付近からは中央構造線の南側を和泉山脈を右に見てほぼ真直ぐ西流し、和歌山市で紀伊水道に注いでいる。
日本有数の多雨地帯である大台ヶ原を水源とする紀の川は、夏季(6月~9月)に集中する降雨分布を示す。従って梅雨時期や台風の際には容易に氾濫を繰り返す河川であった。河口の沖積平野である和歌山平野では河道が度々変遷する状況であったが、豊富な水量は慢性的な水不足にあえぐ奈良盆地の人間にとって魅力的であった。
1400年代の地震・津波によって砂丘が破壊されたことにより、紀の川は和歌浦へ注いでいたルートから現在の紀伊水道へ注ぐルートに変わった。なお、和歌浦へ注いでいた旧ルートは和歌川として残っている。
なお、河川法では「紀の川」とされているが、国土地理院の25,000分の1地形図では「紀ノ川」と記述している。
奈良県と三重県との県境にある大台ヶ原を源流とする。奈良県五條市付近からは中央構造線の南側を和泉山脈を右に見てほぼ真直ぐ西流し、和歌山市で紀伊水道に注いでいる。
日本有数の多雨地帯である大台ヶ原を水源とする紀の川は、夏季(6月~9月)に集中する降雨分布を示す。従って梅雨時期や台風の際には容易に氾濫を繰り返す河川であった。河口の沖積平野である和歌山平野では河道が度々変遷する状況であったが、豊富な水量は慢性的な水不足にあえぐ奈良盆地の人間にとって魅力的であった。
1400年代の地震・津波によって砂丘が破壊されたことにより、紀の川は和歌浦へ注いでいたルートから現在の紀伊水道へ注ぐルートに変わった。なお、和歌浦へ注いでいた旧ルートは和歌川として残っている。