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斐伊川(ひいかわ)は、島根県東部および鳥取県西部を流れる一級水系斐伊川の本流。古事記にも肥河(ひのかわ)として記述が見られる。日本における代表的な天井川として知られる。
島根県仁多郡奥出雲町の船通山を源流とし、雲南市で久野川・三刀屋川を合流し、宍道湖・大橋川・中海・境水道を経て、鳥取県境港市と島根県松江市の境界から日本海に注ぐ。
古くから度々洪水が起こっており、これが八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の元になったという説もある。
洪水の原因は斐伊川の上流が風化しやすい花崗岩質の地域を貫流し、そうした風化物が大量に流れ込んだからであるが、その他の原因として製鉄の存在がある。
古くから山陰地方の山側では砂鉄の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうであった。初期の採鉄では自然に集まった砂鉄を採るだけの小規模なものであったが、江戸時代中期から鉄穴流し(かんなながし)と呼ばれる手法が活発に用いられるようになった。この手法は花崗岩風化堆積物からなる土砂を段階的に樋に流し、鉄とその他の岩石の比重の違いを利用して鉄を選別する比重選鉱法である。この方法が積極的に用いられることによって、人為的な土砂の流入が爆発的に増大した。
洪水はたびたび川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめた。近世になると川の流れを人工的に変えるようになり(川違え)、その中でも一番規模の大きい川違えは寛永12年(1635年)の洪水の際に行われたものである。この工事によって、それまで神門水湖(現在の神西湖)を通じて日本海に注いでいた斐伊川を完全に東向させ、宍道湖に注ぐようにした。
島根県仁多郡奥出雲町の船通山を源流とし、雲南市で久野川・三刀屋川を合流し、宍道湖・大橋川・中海・境水道を経て、鳥取県境港市と島根県松江市の境界から日本海に注ぐ。
古くから度々洪水が起こっており、これが八岐大蛇(やまたのおろち)伝説の元になったという説もある。
洪水の原因は斐伊川の上流が風化しやすい花崗岩質の地域を貫流し、そうした風化物が大量に流れ込んだからであるが、その他の原因として製鉄の存在がある。
古くから山陰地方の山側では砂鉄の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうであった。初期の採鉄では自然に集まった砂鉄を採るだけの小規模なものであったが、江戸時代中期から鉄穴流し(かんなながし)と呼ばれる手法が活発に用いられるようになった。この手法は花崗岩風化堆積物からなる土砂を段階的に樋に流し、鉄とその他の岩石の比重の違いを利用して鉄を選別する比重選鉱法である。この方法が積極的に用いられることによって、人為的な土砂の流入が爆発的に増大した。
洪水はたびたび川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめた。近世になると川の流れを人工的に変えるようになり(川違え)、その中でも一番規模の大きい川違えは寛永12年(1635年)の洪水の際に行われたものである。この工事によって、それまで神門水湖(現在の神西湖)を通じて日本海に注いでいた斐伊川を完全に東向させ、宍道湖に注ぐようにした。
斐伊川水系 ブログ
こんにちは、防虫帽子です。 国土交通省中国整備局出雲河川事務所のサイト に 斐伊川伐採樹木提供のおしらせがでていました。 ヤナギ、オニグルミ、ニワウルシだそうです。 気が付きませんでした。 今週末土日で無くなり次第終了だそうです。
2013-03-05 21:39:00
斐伊川の上を高速で走っている時、私はこの目で大蛇を見た気がしたね。死ぬかと思った。 松江生活してた頃も米子の街中くらいまでしか知らなかったので、そっから先は知らない道だし視界激悪だし。死ぬかと思った。
2013-03-02 19:45:00
法人名 情報発信 認証年月日 おやこ劇場松江センター BLOG Facebook 1999/6/15 斐伊川流域環境ネットワーク HP BLOG 1999/7/13 まごころサービス松江センター BLOG 1999/8/23 ボランティアセンター古志原(確認中) 2001/9/10
2013-03-01 00:00:00
須戔鳴尊(すさのおのみこと)は、 出雲の国(島根県)、斐伊川(ひいがわ)上流の鳥髪(現船通山)に やってきた。 須戔鳴尊が上流へ向かうと、 一人の娘を囲んで泣いている老父と老婆を発見。
2013-02-28 19:25:00
本日で2月も終わり。皆さん、1月、2月と、モメにモメていますか?「揉め事は 幸せを呼ぶ 福の神」声が小さいですよ。 2月の終わりは良い天気、ちょっくら鴨川で、春の訪れを体感したいのでありました。
2013-02-28 11:52:00
斐伊川土手歩かないといけませんなぁ~(笑) Make Health Last. What will your last 10 years look like? では、また明日^^。 ポチして頂ければ嬉しいです にほんブログ村 ポチして頂ければ嬉しいです にほんブログ村 ポチして頂けれ
2013-02-27 17:03:00
23日土曜日は、斐伊川さくらボート協会設立10周年記念式典、祝賀会に出席しました。 このような集まりに出席したのは、昨年6月3日の尾原ダム竣工式以来、じつに8カ月ぶりです。 さて、斐伊川さくらボート協会、あれからもう10年が過ぎました。
2013-02-24 23:20:00