菊川水系 都道府県
菊川水系 市町村
菊川水系 河川
菊川(きくがわ)は、静岡県を流れる河川。一級水系菊川の本流である。国土交通省浜松河川国道事務所が管理し、一部を静岡県に委託している。
静岡県掛川市東山の粟ヶ岳周辺に源を発し南流。途中菊川市の中心部を縦断し、掛川市国安から遠州灘に注ぐ。24の支川とともに菊川水系を構成している。
菊川市の水源のひとつとして、静岡県大井川広域水道企業団からの受水とともに活用されている。菊川市富田地区に浄水場・ポンプ場がある。
古代においては大井川(古大井川)の流路のひとつとして大井川とつながっていたが、その後上流から運ばれた土砂の堆積と地盤の隆起により牧之原台地が形成され、これにより大井川が北に進路を変えたために大井川から分離してできた川であると考えられている。
流域は牧之原台地と小笠山に挟まれた低平地であり、また蛇行が激しいため過去にたびたび水害をもたらしてきた。しかし流域は幕府直轄領や大名・旗本の領地が交錯する権利関係の複雑な場所であったため、本格的な河川改修が行われるようになったのは明治維新以降のことである。現在では一級河川の指定を受け、国の管理のもと河川改修事業が行われている。菊川水系全体としてみた場合でも一級水系としては小規模な河川の部類に入るため、都道府県が管理する二級河川への指定替えが議論されたこともあるが、国土交通省は「引き続き国の管理のもと河川改修を行う必要がある」としている。
周辺一帯が古くは荘園であり、放牧が行われていたことから、柵で囲まれた放牧地(城飼)を流れる川という意味の「城飼川」(きこうがわ)が転じて菊川となったとする説が有力とされている。ほかに、高天神城の東を流れる川であることから、城東川(きとうがわ)が転じて菊川となったとする説など多数ある。
近年では、流域周辺の自治体で組織する菊水ブロックの名称の採用や、その後昭和の大合併期に発足した旧菊川町を経て、現在の菊川市の名前に継承されるなど地域へ深く浸透している。
静岡県掛川市東山の粟ヶ岳周辺に源を発し南流。途中菊川市の中心部を縦断し、掛川市国安から遠州灘に注ぐ。24の支川とともに菊川水系を構成している。
菊川市の水源のひとつとして、静岡県大井川広域水道企業団からの受水とともに活用されている。菊川市富田地区に浄水場・ポンプ場がある。
古代においては大井川(古大井川)の流路のひとつとして大井川とつながっていたが、その後上流から運ばれた土砂の堆積と地盤の隆起により牧之原台地が形成され、これにより大井川が北に進路を変えたために大井川から分離してできた川であると考えられている。
流域は牧之原台地と小笠山に挟まれた低平地であり、また蛇行が激しいため過去にたびたび水害をもたらしてきた。しかし流域は幕府直轄領や大名・旗本の領地が交錯する権利関係の複雑な場所であったため、本格的な河川改修が行われるようになったのは明治維新以降のことである。現在では一級河川の指定を受け、国の管理のもと河川改修事業が行われている。菊川水系全体としてみた場合でも一級水系としては小規模な河川の部類に入るため、都道府県が管理する二級河川への指定替えが議論されたこともあるが、国土交通省は「引き続き国の管理のもと河川改修を行う必要がある」としている。
周辺一帯が古くは荘園であり、放牧が行われていたことから、柵で囲まれた放牧地(城飼)を流れる川という意味の「城飼川」(きこうがわ)が転じて菊川となったとする説が有力とされている。ほかに、高天神城の東を流れる川であることから、城東川(きとうがわ)が転じて菊川となったとする説など多数ある。
近年では、流域周辺の自治体で組織する菊水ブロックの名称の採用や、その後昭和の大合併期に発足した旧菊川町を経て、現在の菊川市の名前に継承されるなど地域へ深く浸透している。