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水路の位置で紙を折り曲げて重ねてみるのですが、水呑川の土手の上の道や北側の水路の位置、更に北側の二本目の水路跡の位置は七丁目と六丁目ではぴったり重なっています。 水呑川が七丁目で折れ曲がっているのもこの高低差の出来る地形に関係しているかもしれ
2011-10-21 21:39:00
(4)水呑川の北側に現在もある水路の中心から90m地点です。ブルーマップで縮尺計算(×1500÷1.07)したときは、90m地点は道路脇の側溝でしたが、実測してみると、さらに2m先の側溝格子蓋辺りになりました。
2011-09-19 11:55:00
鞆鉄道(241) ブルーマップ(4) A地点鞆鉄橋台跡 入川(広島県福山市水呑町)です。現在は水呑川と呼ばれています。昔はもっと広くて水深も深く、海と続いていましたから台風の時には漁船が避難してここまで入っていました。
2011-08-02 21:12:00
自転車で近隣を赱ってみたら入川(水呑川)の湾曲に沿って同心円状に区画されていた。 今はない昔の水路と平行に取ら ゼンリン住宅地図の水呑川鉄橋橋台の位置は地図上で3mm~8mm、現地実測値で4.5mから最大12mほど東
2011-07-20 21:41:00
(1) 入川(いるかわ=現水呑川)の対岸からこちらの土手と坂道の分岐点を通って、新しい区画道路(6m)の東側を少しずつ離れながら芦田川まで続いています。大川下新田九丁目と十丁目の境界線です。
2011-07-15 16:05:00
水呑川鉄橋の北側土手下の水路とその先の道路の手前にも、もう一本水路がありましたから、二対の橋台石垣があった 訳で、その石の一部が今 水呑川鉄橋跡にN原さんが取り付けられた私設の橋の橋台とは石の大きさも仕上げの仕方
2011-07-13 19:19:00
遠近の関係で水呑川土手に突き当たる道路と緑線の交差具合が分かりにくいですが、黄色の公図界と緑の軌道跡がV字型の道路でした。水色が水路跡で、黄色線との交点辺りに橋が架かっていました。
2011-07-08 22:08:00
(Y本さん談) 盛り土の高さが2mくらいになったころには水呑川の土手の中腹から板橋を向かい側の低くなった盛り土に渡して鉄道跡を人が通行 1989年版(1988年11月発行)までは水呑川土手の北側の水路と鉄道盛り土跡の間に土手からの坂道があって
2011-07-07 03:37:00
鞆鉄道(228) 大川下新田十丁目 公図番号252-1(広島県福山市水呑町)は水呑川を越えた鞆軽便鉄道がカーブして平地に移って行く高低差の大きい箇所が入っている図面だ。原図の作成年月日が記載されていないので何年の状態かは断定できないが
2011-07-03 08:49:00