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下井手川水系 ブログ
下井手川の対岸に真正面より少し鉄道よりに石積みの跡がありますが、向かい合わせにしては若干石の切り方積み方に違いがあって当時のままのものではないようです。この向き合った石積みのずれている角度は丁度上の地図の旧道の角度と一致します。
2008-12-25 00:41:00
鷹取川鉄橋の跡 幅40mの野上堤防は現在の競馬場通りから下井手川までの距離になります。これが基底部に相当します。鉄橋はこの土手(野上堤防)にほぼ直角 古い写真で見ると野上駅を出てから下井手川に向かう辺りは鉄道用地がとても広く取ってあります。
2008-12-22 21:58:00
特に興味があったのは野上駅を過ぎてから下井手川、鷹取川廃川地を通って草戸2丁目にかけてのかなり長い鉄道の土手。 但し、土手を下りきってからの直線が草戸大橋の西詰めに向かっていたのに、この地図では東詰めに向かっていて角度が違うのが気になる。
2008-12-16 17:37:00
普段は水門が閉じてあって、必要な時に下井手川からみずが流入しますが、水利権の関係から常時開いているわけではないようです。道三川を復活する会が下井手川の水門を開放して常に流水が来るように交渉したことがあるそうです。
2008-10-23 12:18:00
町民館の斜向かいの米穀店とK村さん宅の境。 ② 更に後ずさりして、ブロックの倉庫南から。 ① ここからゆっくり西にカーブして、古まん(すし屋さん)の脇の一方通行の路地を通って下井手川を渡ります。〆(..)para1002n(ぱら仙人) ←今押し
2008-10-22 16:55:00
現在日本語学院は校名変更して草戸町2丁目14-**に移転) 元日本語学院脇の南北道路 この道路は昔のまま残っていますが、鞆鉄沿線の建物はアメリカ軍の無差別爆撃で下井手川まで一軒残らず焼け落ちました。〆(..)para1002n(ぱら仙人) ←今押し
2008-10-19 21:22:00
暗渠を通って南下して來たどんどん川の水は能満池用水路を伝って、下井手川に放水されていた。下井手川も暗渠から再び地上に出たのがこの池尻塗装の東合流点だ。やがて市街地の水路は地下に埋設されるだろう。
2008-03-10 11:06:00
現在では西6番ガード南からは、暗渠となって、国道2号線の手前、池尻塗装のところで下井手川と接続している。道三川は福山城西外堀が埋められて狭い水路が残されていた間はその水路に繋がってどんどん池の水が流れていたが、外堀が完全に消滅してからは
2008-03-10 01:10:00
(どんどん川)から水を引く農業用水路の樋がある。ここから南下した水路が外能満池に溜まり、さらに道三川に流れていた。道三川の水源は昔は、長者町上水と、どんどんだったのだ。(今は下井手川に接続されている)〆(..)para1002n(ぱら仙人) ←今押し
2008-03-09 11:30:00