芦田川水系 都道府県
芦田川水系 市町村
芦田川水系 河川
芦田川(あしだがわ)は、大阪府の主に高石市を流れる芦田川水系の本流で、二級河川。
堺市・和泉市境の鶴田池に発し、高石市を概ね西流。同市羽衣地区で一度北へ湾曲したのち再び西流、程なく大阪府芦田川排水機場を通り浜寺水路を経て大阪湾へ注ぐ。
かつて下流にかかっていた伽羅橋(きゃらばし)は、沈香の中でも最高級の「伽羅」で築かれていたことからその名があるという。1865年(慶応元年)石橋へ架け替えられ、更にその石橋も河川改修に伴い、沖合の埋立地「堺泉北臨海工業地帯」にある高砂公園に移築された。伽羅橋の地名は、南海高師浜線伽羅橋駅に残っている。
現在南海電気鉄道の南海本線高架化の工事により、一部暗渠の工事が進んでいる。
堺市・和泉市境の鶴田池に発し、高石市を概ね西流。同市羽衣地区で一度北へ湾曲したのち再び西流、程なく大阪府芦田川排水機場を通り浜寺水路を経て大阪湾へ注ぐ。
かつて下流にかかっていた伽羅橋(きゃらばし)は、沈香の中でも最高級の「伽羅」で築かれていたことからその名があるという。1865年(慶応元年)石橋へ架け替えられ、更にその石橋も河川改修に伴い、沖合の埋立地「堺泉北臨海工業地帯」にある高砂公園に移築された。伽羅橋の地名は、南海高師浜線伽羅橋駅に残っている。
現在南海電気鉄道の南海本線高架化の工事により、一部暗渠の工事が進んでいる。
芦田川水系 ブログ
芦田川橋梁東詰から少し南に下ったところに地蔵が立っている。三界万霊の文字があるので供養の目的で造られたものだろう。 穏やかな表情の地蔵と一緒に芦田川の流れを暫く見つめた。私の世代以降は大規模な河川改修工事が行わ
2013-03-18 01:00:00
芦田川鉄橋の写真を見ることはあっても実際にここまで来る人は少ないだろう。強固な堤防の上は絶好の撮影スポットである。橋を通過する山陽本線の車両を眺めながら私は春の訪れを肌で感じていた。
2013-03-17 06:35:00
芦田川の土手筋に土筆がポツポツと顔を出していた。狙い目の5cm程度になるまでには数日かかるだろう。ずんぐりむっくりの土筆は野性味に溢れる。私は軸よりも苦味のある頭(胞子)の方が好きである。
2013-03-15 02:55:00
場所は福山市西町1丁目24-6の南側、芦田川の土手(左岸)から比較的近い。 私は以前に大正8年(1919)の野上堤防決壊、昭和17年(1942)の一文字堤防決壊を例に出し住民に低地に住んでいることを意識させるべきだと書いた。
2013-03-14 23:59:00
古くは草戸千軒町と芦田川沿いに栄華を誇ったそうで、その住民の寄進で 立派なお堂が造られたようです。 しかし、川沿いからお寺まで顔に浮塵子(うんか)が当たって気持ち悪いです 自転車を走らせる大人など、他にいない車社会の町。
2013-03-13 19:15:00
広島県福山市を流れる芦田川西側にある国宝, 明王院に行きました。本堂が鎌倉時代、五重塔が南北朝時代の建物のようですが、江戸時代に、この地に移築されたそうです。芦田川沿いを下った鞆の浦のお雛様までは行けませんでした、残念!
2013-03-10 20:03:00
さて、3月7日の一般質問では芦田川河口堰の開放(案)について提案しました。 河口堰からの工業用水取水量は5万トン/日ですが、この代替水源は芦田川浄化センター(箕沖にある下水処理場)から出る処理水を膜処理(高度処理)して工業用水とし
2013-03-08 20:41:00
公営ギャンブルが盛んだった▲その頃、福山市の芦田川沿いにある競馬場も来場者が年100万人の大台に乗る。ちぎれて舞う外れ馬券と引き換えに、市の台所が潤った。校舎や運動公園と、そこここに公共施設が増えていく▲そのにぎわいも今や昔。
2013-03-08 11:31:00
月曜日の朝、最高のテニス日和で「日化」へ向かう 水呑大橋が土手沿いからきれいに見える 芦田川の河口堰を渡って行く、いいお天気だ 橋には幟が何本も立っている。「ふくやまマラソン」の幟だ。他の地のマラソンと同様に毎回参加者の数は増え
2013-03-05 12:28:00