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意外にもと言ったのは、上相川古道上にある大山祇神社が最も古いのかと思ったからだ。この神社は、上相川集落から人々の姿が消えるのと同時に廃社となり、佐渡奉行所の北側台地上に新しく建てられた、大山祇神社へ合祀された。
2013-03-07 04:42:00
上相川古道は徒歩で充分到達可能だ。マチュピチュは、その建設過程や、建設理由に関する記録が一切残されておらず、それらは謎のままであるのに対し、上相川の鉱山集落跡に関しては詳細な古文書が残されている。もし、佐渡金銀山遺跡が世界遺産に認定
2013-01-11 05:22:00
探索路を覆い隠す上、案内標識が上相川ルートほど整備されていないため、道に迷いやすい。鶴子ルートの起点は、代官所跡地の手前である。ここに案内看板があったが、上相川方面へと書かれた部分を見落としてしまい、代官所跡地へと進んでしまった。
2012-12-15 03:49:00
16~17世紀初頭に採掘が開始された相川金銀山に伴い形成された上相川地区の鉱山町跡を追加指定する。 4 松本城【長野県松本市】 戦国時代から幕末まで存続した信州を代表する近世城郭。大正年間に宅地として貸し付けるために埋め立て
2012-11-21 23:51:00
さらに国指定史跡となっている佐渡金銀山遺跡(佐渡市上相川地区の鉱山町跡)の追加指定を求めています。 ■史跡の追加指定 佐渡金銀山 17世紀初頭に採掘が開始された相川金銀山に伴って形成された上相川地区の鉱山町跡で、造成された平坦地や道路跡などの地割
2012-11-16 22:35:00
だが、あまりにも整備され過ぎており、自声がこだまとなって跳ね返るほど樹木が密生した上相川の古道のように、厳粛な原生林に入り込んだと言う実感が湧いてこない。杉の周囲には、観光客が近寄り根が踏みつけられて傷むのを防ぐために
2012-09-25 06:55:00
上相川鉱山集落跡は、今から約360年前の江戸時代初期に栄えた集落である。その頃は上相川一千軒と言われるくらいの賑わいだったらしい。町割りの形がそのまま残り往時を偲ばせる。これを見て佐渡の「マチュピチュ」と名付けた人がいたそうで
2011-09-10 03:31:00
この地域を上相川と呼び、ここへ至る道は佐渡金山遺跡の一部を成す古道として保存されている。ところが佐渡が江戸幕府の直轄領となり、治世のために佐渡奉行所が設置されると、都市計画によりこの奉行所を中心とした相川の街並みが形作られていった。
2011-07-18 06:00:00