余呉川 都道府県
余呉川 市町村
余呉川 水系域
余呉川(よごがわ)は、滋賀県長浜市を流れる淀川水系の一級河川。
福井県境に近い椿坂峠(標高497m)に発し南流。長浜市の旧・余呉町南部で余呉川導水路を余呉湖へ分ける。旧・木之本町に入ると琵琶湖まで西へ2kmと迫るが、賤ヶ岳をはじめとする山地に遮られ、そのまま南へ流れる。旧・高月町で西野放水路(西野水道)を琵琶湖へ分け、旧・湖北町で西へ転じて琵琶湖に注ぐ。
1583年(天正11年)、羽柴秀吉と柴田勝家との間で賤ヶ岳の戦いが行われた。
余呉川上流域の柳ヶ瀬から木之本(駅名は木ノ本)までは、かつて北陸本線が並行していた。柳ヶ瀬越えと呼ばれる急坂で、蒸気機関車が主力の当時では輸送力の障害だったため、1957年(昭和32年)に木ノ本駅~敦賀駅間を現在の近江塩津駅経由に付け替えた。旧線は柳ヶ瀬線としてしばらく残ったが、1964年(昭和39年)に廃止された。路盤は現在の国道365号に転用された。県境の柳ヶ瀬トンネルも道路転用され、現在も使用されている。
福井県境に近い椿坂峠(標高497m)に発し南流。長浜市の旧・余呉町南部で余呉川導水路を余呉湖へ分ける。旧・木之本町に入ると琵琶湖まで西へ2kmと迫るが、賤ヶ岳をはじめとする山地に遮られ、そのまま南へ流れる。旧・高月町で西野放水路(西野水道)を琵琶湖へ分け、旧・湖北町で西へ転じて琵琶湖に注ぐ。
1583年(天正11年)、羽柴秀吉と柴田勝家との間で賤ヶ岳の戦いが行われた。
余呉川上流域の柳ヶ瀬から木之本(駅名は木ノ本)までは、かつて北陸本線が並行していた。柳ヶ瀬越えと呼ばれる急坂で、蒸気機関車が主力の当時では輸送力の障害だったため、1957年(昭和32年)に木ノ本駅~敦賀駅間を現在の近江塩津駅経由に付け替えた。旧線は柳ヶ瀬線としてしばらく残ったが、1964年(昭和39年)に廃止された。路盤は現在の国道365号に転用された。県境の柳ヶ瀬トンネルも道路転用され、現在も使用されている。
余呉川 ブログ
【余呉川】を渡ったあたりから、昨夜降ったらしい雪がそのまま残っている。 見える線路はJR北陸本線。 余呉湖に行ってみたかったが、道がわからず雨も降っているの断念。 R365号線の近く、余呉川の北にある。 小さな太鼓橋と、鳥居がかわいらしい
2013-03-14 16:23:00
センター前ではずっと首をキョロキョロさせて仲間を探している様子でしたが、余呉川の河口に入って行った後は一日中河口林で休んでいる様子が見られました。しかし片目ですと寝ている時も落ち着かずしきりに首を上げている様子が見られました。
2013-03-13 17:05:00
トンネルを掘った理由は、この余呉川が氾濫しても周囲が山だったので水が引かず困っていて、山の反対側が琵琶湖なので、その水を琵琶湖に流そう!って事で200m以上岩盤を掘ったのだ。 勿論、江戸時代は機械など無いので 手掘りの大工事 だ。
2013-02-14 20:04:00
水害ハザードマップでは100年に1度の大雨で姉川、高時川、余呉川、天野川がはん濫したケースや、過去最悪の浸水となった明治29年9月の琵琶湖の洪水などを参考に、浸水の最大値を色分けして表示。
2012-09-25 15:49:00
木之本町西山の町中を通り、余呉川沿いの農道を歩きました。 出発してすぐに首を長~くして待っていて下さったみなさんが (みなさんお待たせしてスイマセンでした ) 余呉川沿いの農道を歩いている最中も、何人もの方が追いかけ
2012-06-09 20:58:00
その後、昭和25年(1950)には南側に余呉川放水路が完成しましたが、昭和55年(1980)にはさらに南側に大規模な放水路ができているのです。 西野水道の詳細は、サンライズ出版の成田迪夫著「西野水道と農民」をお読みください。
2012-05-22 11:51:00
展示しているのは平成10年ごろからの近作で、冬から春に向かう余呉湖や西浅井町山門の田園風景など37点を並べている。 「余呉湖への道」「冬の余呉川」「春近し」など県展入選作は大作で、モノクロームな雪景色の中から
2012-05-08 16:52:00
先月二十九日午後八時三十六分ごろ、長浜市余呉町下余と坂口の境界付近の余呉川堤防沿いに体長約一㍍のクマが居るのを、地元のドライバー男性(42)が目撃して通報した。木之本署と長浜市がパトロールし、付近住民に警戒を呼びかけているが、その後
2012-05-02 11:00:00