五十鈴川 都道府県
五十鈴川 市町村
五十鈴川 水系域
五十鈴川(いすずがわ)は、三重県伊勢市を流れる宮川水系の一級河川。
倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持つ。古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。
神路山を源流とし、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の中を通過してその御手洗(みたらし)となる。この御手洗場では、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われたが、現在は禁止されている。
この川に架かる宇治橋は、聖俗界を分ける境界といわれる。
河口付近では五十鈴川川 派川と分かれ本流は宮川#宮川水系勢田川 勢田川と合流しているが、1498年(明応7年)の東海・南海・東南海連動型地震 明応地震による津波で流れが変わったためであり、朝熊山麓を東流し二見の夫婦岩の東側で伊勢湾へ注ぐ現在の五十鈴川派川が本流であったという。五十鈴川に囲まれた伊勢市二見町は三角州のような形状であるが、三角州ではあり得ない標高約120mの音無山がある。
倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持つ。古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。
神路山を源流とし、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の中を通過してその御手洗(みたらし)となる。この御手洗場では、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われたが、現在は禁止されている。
この川に架かる宇治橋は、聖俗界を分ける境界といわれる。
河口付近では五十鈴川川 派川と分かれ本流は宮川#宮川水系勢田川 勢田川と合流しているが、1498年(明応7年)の東海・南海・東南海連動型地震 明応地震による津波で流れが変わったためであり、朝熊山麓を東流し二見の夫婦岩の東側で伊勢湾へ注ぐ現在の五十鈴川派川が本流であったという。五十鈴川に囲まれた伊勢市二見町は三角州のような形状であるが、三角州ではあり得ない標高約120mの音無山がある。