野尻湖 都道府県
野尻湖 市町村
野尻湖 水系域
野尻湖(のじりこ)は、長野県上水内郡信濃町にある湖。芙蓉湖(ふようこ)とも呼ばれる。ナウマンゾウ化石が出土する湖としても知られており、発掘調査が行われる。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。天然湖で、妙高高原、黒姫高原とともに上信越高原国立公園に指定されている。
東の斑尾山と西の黒姫山に挟まれた標高654メートルの高原に位置する。古くは信濃尻湖(しなのじりこ)といい、それがなまって野尻湖と呼ばれるようになった。また、湖の形が芙蓉の花に似ていることから、芙蓉湖という異名をもつ。なお、野尻湖の西には「野尻」という地名があるが、これは山に囲まれた野尻湖で唯一西側のみが開けており、そこからまず「沼尻」という地名が生まれ、やがて野尻に変化したとされる。
面積は4.56平方キロメートルで、長野県の天然湖としては諏訪湖に次いで2番目に大きい。水深は38.5メートルもあり、貯水量では諏訪湖を上回る。湖の水は池尻川を通じて流出し、関川へ合流して日本海に注ぐ。
成因には諸説が存在し、斑尾山の噴出物によってせき止められたという説と、黒姫山の噴火により発生した、池尻川泥流によりせき止められ、その後、湖の西側が隆起したと言う説がある。
笹ヶ峰ダム(乙見湖)とともに、関川下流域に広がる農地に灌漑する農業用水の水源として利用されている。
約80年前にはナマズ、ギギ、ドジョウ、フナ、タナゴ、コイ、ウグイ等15種類の生息が記録されている。地元漁協は遊漁などを目的としてワカサギ、ヒメマス、ヘラブナなどを放流している。1980年代後半にオオクチバス、1990年代にブルーギルとコクチバスが確認されている。
1900年代初頭には車軸藻類、ホシツリモ、コカナダモなど20数種類もの豊富な水草が確認されていた。1978年には増え過ぎた水草が船の航行や漁業の障害になるとして、水草除去を目的に5,000匹のソウギョが放流された。3年間で水草は食べ尽くされ、ホシツリモは全滅したが、同時にエビやフナ類も激減した。1996年に水草を復元をしようと長野県衛生公害研究所、野尻湖ナウマンゾウ博物館を中心に地元ボランティアが参加して活動を開始した。ソウギョは野尻湖では自然繁殖しないが寿命が長く、水草の復元に対して大きな影響力を与え続けている。現在野尻湖に生息しているソウギョが放流当初の個体なのかは確認されていない。
東北電力の水力発電所・池尻川発電所は、野尻湖の水を取り入れ、最大2,340キロワットの電力を発生したのち、関川に放流する。野尻湖に流入する水が少なくなる冬の間は、発電所の運転により野尻湖の水位が低下してしまう。野尻湖は関川下流域の農地を潤す水がめであるから、春先に関川を流れる豊富な雪解け水を発電所に設置されたポンプで野尻湖にくみ上げ、農業用水が必要となり始める時期を前に水位を回復させる。こうした運用ができる水力発電所を揚水発電所という。1932年(昭和7年)、東北電力の前身となった企業の一つ・中央電気の国友末蔵が、自身の経験(ヨーロッパを流れるライン川における水力発電所の視察)をもとに内務省からの助言を得つつ池尻川発電所建設計画を立案し、日本初の揚水発電所として1934年(昭和9年)に完成した。
東の斑尾山と西の黒姫山に挟まれた標高654メートルの高原に位置する。古くは信濃尻湖(しなのじりこ)といい、それがなまって野尻湖と呼ばれるようになった。また、湖の形が芙蓉の花に似ていることから、芙蓉湖という異名をもつ。なお、野尻湖の西には「野尻」という地名があるが、これは山に囲まれた野尻湖で唯一西側のみが開けており、そこからまず「沼尻」という地名が生まれ、やがて野尻に変化したとされる。
面積は4.56平方キロメートルで、長野県の天然湖としては諏訪湖に次いで2番目に大きい。水深は38.5メートルもあり、貯水量では諏訪湖を上回る。湖の水は池尻川を通じて流出し、関川へ合流して日本海に注ぐ。
成因には諸説が存在し、斑尾山の噴出物によってせき止められたという説と、黒姫山の噴火により発生した、池尻川泥流によりせき止められ、その後、湖の西側が隆起したと言う説がある。
笹ヶ峰ダム(乙見湖)とともに、関川下流域に広がる農地に灌漑する農業用水の水源として利用されている。
約80年前にはナマズ、ギギ、ドジョウ、フナ、タナゴ、コイ、ウグイ等15種類の生息が記録されている。地元漁協は遊漁などを目的としてワカサギ、ヒメマス、ヘラブナなどを放流している。1980年代後半にオオクチバス、1990年代にブルーギルとコクチバスが確認されている。
1900年代初頭には車軸藻類、ホシツリモ、コカナダモなど20数種類もの豊富な水草が確認されていた。1978年には増え過ぎた水草が船の航行や漁業の障害になるとして、水草除去を目的に5,000匹のソウギョが放流された。3年間で水草は食べ尽くされ、ホシツリモは全滅したが、同時にエビやフナ類も激減した。1996年に水草を復元をしようと長野県衛生公害研究所、野尻湖ナウマンゾウ博物館を中心に地元ボランティアが参加して活動を開始した。ソウギョは野尻湖では自然繁殖しないが寿命が長く、水草の復元に対して大きな影響力を与え続けている。現在野尻湖に生息しているソウギョが放流当初の個体なのかは確認されていない。
東北電力の水力発電所・池尻川発電所は、野尻湖の水を取り入れ、最大2,340キロワットの電力を発生したのち、関川に放流する。野尻湖に流入する水が少なくなる冬の間は、発電所の運転により野尻湖の水位が低下してしまう。野尻湖は関川下流域の農地を潤す水がめであるから、春先に関川を流れる豊富な雪解け水を発電所に設置されたポンプで野尻湖にくみ上げ、農業用水が必要となり始める時期を前に水位を回復させる。こうした運用ができる水力発電所を揚水発電所という。1932年(昭和7年)、東北電力の前身となった企業の一つ・中央電気の国友末蔵が、自身の経験(ヨーロッパを流れるライン川における水力発電所の視察)をもとに内務省からの助言を得つつ池尻川発電所建設計画を立案し、日本初の揚水発電所として1934年(昭和9年)に完成した。
野尻湖 ブログ
上水内郡信濃町の野尻湖で20日、昨年10月にナウマンゾウの化石が見つかった湖底で行う本格的な地質調査を前に準備が始まった。野尻湖発掘調査団(団長・赤羽貞幸信州大副学長)が、調査場所を決める測量をし、資材を運び込んだ。
2013-03-21 08:57:00
昨年10月に従来の発掘調査場所とは異なる地点で初めてナウマンゾウの化石が見つかった上水内郡信濃町の野尻湖で22日、野尻湖発掘調査団(団長・赤羽貞幸信大副学長)による湖底の地質調査が始まる。新たに化石が見つかった地点の状況や地層の年代によっ
2013-03-19 09:02:00
事件は、野尻湖の発掘現場で、人骨が出てきたことに始まる。その骨の主は、畑野高秀という大学教授で良寛の研究者であった。更に、この話のヒロインとも言える田尻風見子が、良寛が晩年を過ごした五合庵への道筋で出会った二人の男のうちの一人が殺される。
2013-03-18 20:18:00
トライアスロンの登録更新も終わり、次は実際に野尻湖大会の申し込みを待つ状態。 ランの距離が11kmになるという話も聞きましたが、そうなると厳しい登り下りのみのランとなりそう(恐ろしい!) 春ランは
2013-03-17 22:40:00
左手斑尾山の山麓に広がるのは野尻湖、正面には袴岳と鍋倉山。 【写真上】メノウコースより一写。 コース幅こそやや狭めですが、初中級者でも楽しめるロングコース。 眼前に聳えるのは戸隠裏山、左より本院岳.西岳、第一峰(弁慶岳)。
2013-03-17 19:37:00
お昼は長野県庁でジビエカレー 写真無し…m(__)m 野尻湖湖畔の障がい者施設、弁天食品を視察…ホシザキ社製の良い機械がいっぱいだった…羨ましい…( ̄◇ ̄;) こんなに雪があった… 帰路へ…てんこ盛りの二日間だった…見どころ満載
2013-03-17 15:56:00
野尻湖・檜原湖をはじめとした極限のタフコンディションを打開する為のロッド。 より繊細なティップ、5'11"のレングスと相まって超軽量シンカーを一点に止めたマイクロピッチシェイクが可能。
2013-03-16 22:11:00
以前みたいに、河口湖や野尻湖などへの長距離移動もないし、ほとんどがマリーナ内で動かすだけなので、アルミ→鉄ホイールに変わってしまいましたが、見た目より機能重視(^^; タイヤを外したので
2013-03-15 20:25:00
ウインタースポーツの納めとして斑尾タングラムスキー場へ…その最上部から眼下に北信のシンボル“野尻湖”(別名、芙蓉湖とも)を一望、、そして遠くに“後立山連邦”さらに日本海、“佐渡島”までも見渡せ
2013-03-15 16:30:00