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昭和放水路 ブログ
1970年代までに工業地や住宅地として開発されましたが、習志野市谷津地先の干潟は昭和放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、埋立地の中に2本の水路で海とつながる池の様に残されました。
2012-08-31 07:18:00
東田子の浦駅を過ぎて、昭和放水路の橋を渡った先の愛鷹神社で今朝の参拝。小さい神社も含めて、街道沿いは神社が目につく。 吉原の製紙工場の煙突に向かうように走ると、途中で毘沙門天の案内が。
2012-08-25 22:32:00
それで昭和放水路から西側の海岸線にならべたところ、波打ち際のない海岸になってしまったそうで。 それではいけないということで、土砂を人工的に投入して自然の力で浜辺を復元するとともに、砂浜に巨大な消波ブロック(80t型)を埋め込んで
2012-06-10 22:21:00
祖先は、この戦いで、財産を失い、ときには命を犠牲にした。 また、ときには神や自然を崇拝した(天王さん(天神社)、風祭りなど) この戦いは、 岳南排水路、田子の浦港、昭和放水路、17m防波堤の造成などに引き継がれる。 万治堤防(富士塚
2012-06-07 07:48:00
工業地や住宅地として開発されたが、習志野市 谷津地先の干潟は昭和放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、 埋立地の中に2本の水路で海とつながる池の様に残された。 その後、埋め立ての計画は持ち上がったが
2012-05-23 20:29:00
(彼らの留学先大学に日本の古写真アーカイブがあり、 「スイホシ(昭和放水路の原型)」などが写っている) 松城家はそのときの豪農(村役)で、 明治に政界を務めた (ご子孫は、かつてわたしの勤めていた銀行(東京)の顧客だった) (本来松城家
2011-10-10 09:39:00
近くには昭和放水路があります。 浮島沼の干拓に生涯をささげ、「スイホシ」と呼ばれる排水路工事を行った増田平四郎の像も近くにあります。 このスイホシが昭和放水路となりました。 春耕道しるべです。 ここから山のほうの村々に通じる道があり
2011-04-19 22:42:00
場所は特定できて、現在の柏原の昭和放水路です。右に見える山は愛鷹山で透水性が少なく、雨がふると浮島沼に流れ込み、その出口が田子の浦ひとつしかなかったので、浮島沼周囲の村は冠水被害に会いました。
2011-04-01 01:01:00