谷沢川 都道府県
谷沢川 市町村
谷沢川 水系域
谷沢川(やざわがわ)は、東京都世田谷区を流れる多摩川水系の一級河川である。
3.1 等々力渓谷の自然
3.2 名所・旧跡・施設
武蔵野台地の南端部に位置する東京都世田谷区桜丘四丁目・五丁目付近の湧水と桜丘三丁目の旧品川用水の吐水の跡を源にし、上用賀地内の複数の湧水を合わせ、世田谷区中町を経由する。世田谷区等々力付近の国分寺崖線を切れ込むように侵食してできた等々力渓谷を流れ、この渓谷からは多量の湧水がみられる。世田谷区野毛付近で丸子川(六郷用水)と交差し、世田谷区玉堤で多摩川に合流する。
上流部のほとんどはコンクリート蓋による暗渠で、首都高速3号線下の田中橋付近から多摩川への合流口までが開渠となっている(上流の世田谷区桜丘三丁目付近にはわずかだが開渠が残っている)。
清流復活事業として仙川の水を同区岡本三丁目で取水し、生物濾過した上で用賀まで送り、谷沢川に導入する施設が造られたが、 冬季の渇水期にはほとんど水が導かれていないために現在も湧水を主にした流れができている。
かつて豊かな森林であった武蔵野台地に沿って流下する谷沢川も、近年の急速な宅地化に伴い水源の森は姿を消し、さらに生活排水が混入するなど、水量の減少と汚染が課題になっていた。
一方、下流部には等々力渓谷があり、周囲は急斜面になっているために宅地開発を免れ、かつての豊かな森の面影が残るこの周囲には比較的豊かな生態系が残されていた。東京都区部では唯一の渓谷として、1999年(平成11年)には東京都名勝に指定され、その環境が保全されるとともに、渓谷沿いに散策道が整備された。
反面、国道246号(玉川通り)より上流は暗渠化されている。
また、中町より上流の流路は、大正縲恟コ和初期の玉川全円耕地整理によって人為的に変更され、直線化された。
中町より下流の谷沢川の流路は、上野毛付近を過ぎて東急大井町線の線路をくぐった後、現在のように等々力渓谷を流れることなく等々力駅東側で東急大井町線の線路を再びくぐり、逆川・九品仏川を経由して呑川に合流していたことが、地形・地質構造上明らかになっている。その成因には下記の2つの説がある。
谷沢川が谷頭浸食により九品仏川の上流を争奪したとする、河川争奪説。
江戸時代に、水利を巡る争いや排水不良の改良のため人為的に流路が変更されたとする、人工開削説。
前者の河川争奪説が一般的となっているが、両説とも決定的な証拠がなく、今後の調査が待たれる。
3.1 等々力渓谷の自然
3.2 名所・旧跡・施設
武蔵野台地の南端部に位置する東京都世田谷区桜丘四丁目・五丁目付近の湧水と桜丘三丁目の旧品川用水の吐水の跡を源にし、上用賀地内の複数の湧水を合わせ、世田谷区中町を経由する。世田谷区等々力付近の国分寺崖線を切れ込むように侵食してできた等々力渓谷を流れ、この渓谷からは多量の湧水がみられる。世田谷区野毛付近で丸子川(六郷用水)と交差し、世田谷区玉堤で多摩川に合流する。
上流部のほとんどはコンクリート蓋による暗渠で、首都高速3号線下の田中橋付近から多摩川への合流口までが開渠となっている(上流の世田谷区桜丘三丁目付近にはわずかだが開渠が残っている)。
清流復活事業として仙川の水を同区岡本三丁目で取水し、生物濾過した上で用賀まで送り、谷沢川に導入する施設が造られたが、 冬季の渇水期にはほとんど水が導かれていないために現在も湧水を主にした流れができている。
かつて豊かな森林であった武蔵野台地に沿って流下する谷沢川も、近年の急速な宅地化に伴い水源の森は姿を消し、さらに生活排水が混入するなど、水量の減少と汚染が課題になっていた。
一方、下流部には等々力渓谷があり、周囲は急斜面になっているために宅地開発を免れ、かつての豊かな森の面影が残るこの周囲には比較的豊かな生態系が残されていた。東京都区部では唯一の渓谷として、1999年(平成11年)には東京都名勝に指定され、その環境が保全されるとともに、渓谷沿いに散策道が整備された。
反面、国道246号(玉川通り)より上流は暗渠化されている。
また、中町より上流の流路は、大正縲恟コ和初期の玉川全円耕地整理によって人為的に変更され、直線化された。
中町より下流の谷沢川の流路は、上野毛付近を過ぎて東急大井町線の線路をくぐった後、現在のように等々力渓谷を流れることなく等々力駅東側で東急大井町線の線路を再びくぐり、逆川・九品仏川を経由して呑川に合流していたことが、地形・地質構造上明らかになっている。その成因には下記の2つの説がある。
谷沢川が谷頭浸食により九品仏川の上流を争奪したとする、河川争奪説。
江戸時代に、水利を巡る争いや排水不良の改良のため人為的に流路が変更されたとする、人工開削説。
前者の河川争奪説が一般的となっているが、両説とも決定的な証拠がなく、今後の調査が待たれる。