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古大谷川 ブログ
この旧杉並木と呼ばれる道は大桑~寺前~東原~間島と古大谷川(大昔大谷川はここを流れていた)に沿うルートを通り、籠岩の渡しを経て舟生街道に合流していました。 また、初代の杉並木寄進碑(この碑までが日光神領となります)は籠岩船場に建て
2012-06-10 10:45:00
写真の川は一級河川大谷川に隣接して流れる古大谷川。 この古大谷川は暴れ川で度々氾濫し、日光神領に暮らす人々の生活を脅かしていました。 二宮尊徳は幕府の命で日光神領の畑を立 日光神領の二宮堀を造り
2011-02-07 09:18:00
男体山から噴出した溶岩などが古大谷川をせき止めて出現した。中禅寺湖の水が滝となって流れ落ち、滝下に直径約40メートル、水深約5メートルの滝壺をつくっているんだって! ここで写真を写すと何やら変なものが映るだとか色々な噂が昔から有る
2010-11-21 20:36:00
大桑宿を出た街道は西へ進み古大谷川に沿って北上、石塔島から渡し舟を使って渡河し、鬼怒川北岸の河岸段丘上を高徳宿へ向かうルートだった。鬼怒川の渡しから高徳宿までは日光北街道への近道である船生街道と同ルートを辿ったと思われる。
2010-08-17 23:24:00
江戸期の街道はこの辺りから左手に折れて古大谷川に向かって延びていたが、現在は見ての通り田んぼの中に消失している。 倉ヶ崎新田交差点の手前で古大谷川を渡る。 江戸期の街道が通っていたとされる共同墓地。 十文字食堂の先から杉並木が再び現れる
2010-08-10 23:33:00
元来の大谷川は現在より北側を流れる古大谷川の流路が本流であり、慶長年間(1596年~1615年)の大洪水によって現在に見る川筋になったといわれる。大谷橋について日光市歴史民俗資料館に問い合わせてみたところ
2010-08-03 11:23:00