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前の画像にも写っている橋、三蔵川に架かる坂本橋だ。 この橋の竣工に関する情報が無かったが、橋の横には明らかに旧橋があった事を匂わす短いアプローチ部分が残っていた。 カッ飛ぶ輩がいるのだろうか? それとも夜間は普通に走っ
2012-09-22 20:07:00
2月4日から12日までということで・・・やっぱり食べてみたいですよね! この寒晒し蕎麦は「寒に入り水温が5℃以下になった三蔵川の源流の清流に晒し、那須おろしの寒風で乾燥した玄そばは、アクが抜け、甘みが増します。
2012-02-07 01:56:00
この水車はすぐそばを流れる三蔵川の水を利用して回されていて、水車の力で蕎麦の実を挽き、蕎麦粉を作っています。 なかなか迫力がありますよ。 すぐそばを流れる三蔵川。八溝山系の沢や小川が集まって流れてくる川なので水も綺麗です。
2011-11-15 21:37:00
各家で宴の後、わらで作った小さな精霊舟に乗ったご先祖さまは、あの世へ帰るわけですが、近年は勝手に三蔵川を流れて行ってはダメで、みんなで大型船に乗って帰るのです。それも、川からではなくて、焼却場から煙となって、あの世まで帰ります。
2010-08-16 20:24:00
道の駅から専称寺への道で、三蔵川から見た釈迦堂山の尾根筋(東側から見た)です。左サイドが北向き地蔵方面、右サイドが堂平仏堂跡方面です。 三蔵川と奈良川に挟まれた山がお城山(328m)、三蔵川左岸が梁瀬山(332m)となります。
2010-07-17 00:49:00
伊王野の釈迦堂山(黒川と三蔵川に挟まれた地)へ登り、正福寺(現在はお城山の麓にある)を開いた。その後ろの山頂で、施餓鬼の法を行い その川を「三蔵川」と云い、その場所が現在の三蔵橋が架かる辺り。そんな云われのある
2010-07-16 16:43:00
チョウピンとしては、アイヌが住んでいた頃から、その地形から「イホ」と呼ばれていた説(イホとは、丘陵の先端の意で、三蔵川と奈良川に挟まれた先端部)がいいですネ。「イホ」の野から伊王野。どうでしょうか?伊王野家は那須与一の甥の資長が正治年代
2010-07-14 21:33:00
享保時代、江戸で破たんした一家が米沢へ帰るために、三蔵川を向宿から巻淵へと渡ってきた。冬の寒い雪の降る夕暮れだった。村人に、米沢への道を尋ねると、村人は 黒川と三蔵川の間にある釈迦堂山に正福寺を開いた時、山頂に土盛りし
2010-01-24 18:32:00
境の明神と玉津島神社 ~前略~ 京の都と奥州を結ぶ道は、古代には東山道(のち関街道)があり、 伊王野谷を流れる三蔵川を北上し、白河の関に至る道である。 途中の追分には追分明神(住吉玉津島神社という)が鎮座している。 祭神は衣通姫である。
2009-09-27 06:11:00