厚別川 都道府県
厚別川 市町村
厚別川 水系域
厚別川(あつべつがわ、あしりべつがわ)は、北海道札幌市および江別市を流れる石狩川水系豊平川の最大の支流で、一級河川である。長さ41km。
川の名の由来は、アイヌ語のアシリ・ペッ(新しい川)。あるいは、ハシ・ペッ(雑木林を流れる川)。
北海道札幌市南区南部、空沼岳の頂から約5km東に源を発し、北東に向かい、滝野すずらん丘陵公園のアシリベツの滝を経て、清田区に入る。清田区の有明で北に向きを転じ、平地に出る。ここまで北海道道341号真駒内御料札幌線が川沿いを走る。河川法上の正式名は「あつべつがわ」だが、清田区内では、「アシリベツ川」と呼ばれる。
清田区の中を流れてから、白石区と厚別区の境をなして、札幌市内を貫く。川下公園付近までは両区の境は川の中心ではなく、川に沿った道に引かれており、両岸とも白石区である。白石区の流通センター6丁目と7丁目は、川の右岸に位置する。下流の河道は直線になり、江別市に入って野津幌川、旧豊平川をあわせ、世田豊平川を分けてから、北西に曲がって豊平川に合流する。
流域の農業としては、明治時代から20世紀半ばまで、現在の厚別区南部と清田区北部の、中流の川沿いで稲作、台地で畑作がなされた。この古い農業地帯は、戦後になって札幌市の人口が膨張すると、次第に市街地に置き換わった。下流部の農地は、治水工事以降の比較的新しいものである。
厚別川下流は大谷地原野という泥炭地、湿地帯で、明治以後も長らく開拓者を寄せ付けなかった。1963年(昭和38年)から川が直線化され排水が進み、ようやく水田として利用できるようになった。この新しい直線河道は、厚別新川とも呼ばれた。
江戸時代後期から昭和時代初期までの豊平川は、江別市対雁で石狩川に注いでいた。東から西に流れる石狩川から見ると、西からくる豊平川は脇を逆行してくる形であった。しかし昭和10年代に人工河川の開削によって豊平川は北に向けて流れ、現在の東区福移で豊平川に注ぐようになった。それまでの豊平川は旧豊平川、世田豊平川として残された。
厚別川はかつて大きく蛇行を重ねながら豊平川に注ぎ、豊平川の新河道が開削された後は旧豊平川の流れを伝って江別市対雁で石狩川に注いでいた。しかし後に新たな豊平川と旧豊平川をつなぐ人工河川が開通し、現在では野津幌川と共に旧豊平川に注いだ後、人工河川を経て江別市角山で豊平川に注いでいる。
川の名の由来は、アイヌ語のアシリ・ペッ(新しい川)。あるいは、ハシ・ペッ(雑木林を流れる川)。
北海道札幌市南区南部、空沼岳の頂から約5km東に源を発し、北東に向かい、滝野すずらん丘陵公園のアシリベツの滝を経て、清田区に入る。清田区の有明で北に向きを転じ、平地に出る。ここまで北海道道341号真駒内御料札幌線が川沿いを走る。河川法上の正式名は「あつべつがわ」だが、清田区内では、「アシリベツ川」と呼ばれる。
清田区の中を流れてから、白石区と厚別区の境をなして、札幌市内を貫く。川下公園付近までは両区の境は川の中心ではなく、川に沿った道に引かれており、両岸とも白石区である。白石区の流通センター6丁目と7丁目は、川の右岸に位置する。下流の河道は直線になり、江別市に入って野津幌川、旧豊平川をあわせ、世田豊平川を分けてから、北西に曲がって豊平川に合流する。
流域の農業としては、明治時代から20世紀半ばまで、現在の厚別区南部と清田区北部の、中流の川沿いで稲作、台地で畑作がなされた。この古い農業地帯は、戦後になって札幌市の人口が膨張すると、次第に市街地に置き換わった。下流部の農地は、治水工事以降の比較的新しいものである。
厚別川下流は大谷地原野という泥炭地、湿地帯で、明治以後も長らく開拓者を寄せ付けなかった。1963年(昭和38年)から川が直線化され排水が進み、ようやく水田として利用できるようになった。この新しい直線河道は、厚別新川とも呼ばれた。
江戸時代後期から昭和時代初期までの豊平川は、江別市対雁で石狩川に注いでいた。東から西に流れる石狩川から見ると、西からくる豊平川は脇を逆行してくる形であった。しかし昭和10年代に人工河川の開削によって豊平川は北に向けて流れ、現在の東区福移で豊平川に注ぐようになった。それまでの豊平川は旧豊平川、世田豊平川として残された。
厚別川はかつて大きく蛇行を重ねながら豊平川に注ぎ、豊平川の新河道が開削された後は旧豊平川の流れを伝って江別市対雁で石狩川に注いでいた。しかし後に新たな豊平川と旧豊平川をつなぐ人工河川が開通し、現在では野津幌川と共に旧豊平川に注いだ後、人工河川を経て江別市角山で豊平川に注いでいる。