長峡川 都道府県
長峡川 市町村
長峡川 水系域
長峡川 ブログ
氏 テーマ:工業技術者は環境教育の担い手になれるか 【地域環境活動事例報告】 行橋市立延永小学校:「川とともだち」~長峡川の護岸工事とわたしたちの生活~ みやこ町立犀川小学校:「わたしたちの喜多良川」 築上町立下城井小学校:「きれいな川を守ろ
2010-11-08 10:10:00
行橋の町を挟むようにして流れる今川と 長峡川をつなぐ運河で、幕末のころ造られたとか。年貢米を運び出すための水路だったと聞く 不定形な地割と細い路地の残る地区を通り抜け、長峡川を渡ってみると、鮮やかな赤レンガ塀に ひときわ立派な門構え
2010-05-09 01:45:00
川は「今川、長峡川、祓川」のうちのどれかだと思います(^_^;) こちらがカラー版です。きれいに彩色されていますね♪ そうそう、行橋市の西方の山では ミヤマクワガタ がたくさん採れ
2010-03-28 03:33:00
以前は行橋市の蓑島や今川流域、苅田町の長峡川下流にも小規模のコロニーがあったが、現在は天神池周辺に集中。大規模になった理由として(1)適した枝が多く大きな木がある(2)池のほとりで犬や猫など外敵が近寄りにくい(3)周辺に田んぼや小波瀬川
2009-06-12 15:47:00
神武は長峡川または、今川を遡って直方市に出たのではないかと考えています。長峡川のほうが、田の字の付く地名が多いので、この川を遡り香春町を通り、直方市まで出たと思われます。また、このコースには
2009-05-05 19:01:00
県道250号線と交差する長峡川に架かる「銀杏ノ木橋」の傍に参道入口、案内の看板と鳥居が見えます。 境内入口 鳥居をくぐっ 当社の前を流れる長峡川にもその名が残っています。 創始は景行天皇の守護神とさ
2009-04-22 08:14:00
JR日豊線行橋駅から北に300m、長峡川を越えて行事地区の日豊線の線路の側に鎮座しています。 「行橋」の名称のいわれは、明治22(1889)年、京都都行事村、仲津郡大橋村、宮市村の三村が合併。
2009-03-26 18:25:00
今川と長峡川にはさまれ、中央には中津街道が横切り、近世には水運と陸運の要所として栄えた。 明治22年に合併した行事村と大橋村の「行」と「橋」の字を合わせて「行橋」と命名されたと知る。
2008-07-06 23:37:00