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白根山麓の万座川、今井川、赤川、遅沢川などがそれである。 だから中和システムは、全部の酸性河川に作らなければ 吾妻川の酸性化を防ぐことはできないはずだ。 しかし不思議なことに、中和システムが作られたのは白砂川上流の湯川のみである。
2012-04-15 07:44:00
【10年12月11日探索・11年2月9日公開】 現在地は ここ 遅沢川橋梁はどのような橋梁だったのだろうか? ここに橋が無いことは事前情報で知っていたが、ここでおとなしく迂回しようという考えがどういう訳だか、起きなかった。
2011-02-09 01:01:00
左側は年季の入った石垣があった。 舗装道は左折するが、廃線跡はこのまま直進になる。 俄然、それらしくなってきた。 が、少し先で進路は阻まれる。 遅沢川橋梁は撤去されていた。 このあと、私は思いっきり情けない失敗をする事になる
2011-02-08 00:48:00
こちらによれば, 強酸性河川の万座川、遅沢川並びに酸性河川の今井川、赤川、白砂川の水は東京電力の水力発電所で取水し、吾妻川にはほとんど放流しないで東京電力水路と一部県営発電所水路を経由して前橋市の群馬県庁付近まで流下させています。
2010-03-08 20:17:00
(事務局) 元々、温泉地もあり、硫黄鉱山が廃鉱になったことにより新たに酸性になったのは遅沢川だけであり、その他は昔から温泉地で酸性だった。 (進士委員) ○pHが2で強酸性だが、消石灰を入れて中和する方法は、世界中で行っているのか。
2009-11-11 19:20:00
上流に硫黄鉱山跡地を抱える万座川、遅沢川などでは廃水の処理は行われておらず、約6割の水は酸性の性質を持ったまま流れ込んでいる。 (藤原教授は、現状のままではコンクリートのダムの安全性が疑問、危険と) (循環資源研究所の村田徳治所長は
2009-11-02 22:26:00
湯目加賀守は、富神山麓の遅沢川付近で戦死したといいます。 慶長5年伊達正宗の命により来援し、遅沢川付近で上杉軍と奮戦討死しました。 ここより西方100mの地に、周囲30m高さ3mのほぼ円形の塚に葬ら
2009-10-17 07:29:00
伊達政宗の命により、最上へ援軍にやって来た湯目守重も遅沢川付近で上杉軍と戦い亡くなった。 加藤・湯の目家の供養のために碑を作り、現在でも供養している。 最上軍のお城で最終的に残ったのは、山形城・長谷堂城・上山城(高楯城)・東根城が残った。
2008-04-15 06:17:00